沖縄の仏壇 照屋漆器店 ── 時は変われど、変わらぬ想い
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沖縄県内を移動していると、住宅街の中に突然現れる大きなお墓。
移住者の中には、お墓ではなく「物件」と呼びたくなるほど大きくて驚いたと言われる方も。
本土のような個人のお墓とは異なり、1族など多くの家族で共有するため大きくする必要がありました。
また、風葬やシーミーなど沖縄独特の風習も影響しています。大きさだけでなく、形も独特なところが沖縄のお墓の特徴です。
①門中制度によりお墓を共有していたため
ご先祖様を大切にする沖縄では、同じ先祖を持つ親戚同士の関わり合いが深く、父系の血筋を持つ長男が継承していく「門中制度」があります。
お墓を共用して使い、多くの厨子甕(ジーシガーミ/ずじかめ)を納めるため、必然的にお墓を大きく作るようになりました。
厨子甕とは沖縄の伝統的な骨壷のことです。木や石、陶器などから作られていました。
お墓の広さは小さなものでも6〜8畳ほどあり、中には数千もの家族で共有されているところもあります。
糸満市にある「幸地腹・赤比儀腹両門中墓」は、県内最大の門中墓といわれ、約5,400㎡の敷地内に5,500人ほどの先祖が祀られています。
②風葬文化によるもの
沖縄には風葬文化があります。「土葬」はイメージができるけど「風葬」は聞き慣れなくて想像がつかない。そんな移住者も多いのではないでしょうか。
風葬とは、遺体を埋葬せずに自然の中に置き、風化させる方法です。
雨風にさらして白骨化するまで数年間待ちます。そして、遺骨を回収したのち、親族の女性たちが海水や泡盛で洗浄してからお墓に納めるのです。
昔は遺体の周りに石を積み上げて安置し風化させていたため、人が入るほどの広さが必要でした。
時代の変化に伴い、風葬から火葬へと変化していきましたが、離島においては火葬施設の土地が少なく整備が遅かったため、1970年代まで風葬が行われていた記録が残っています。
③お墓の前で宴会ができるように
沖縄では納骨をしたあと、その場で宴会をします。
また、晴明(シーミー)の時期にはたくさんの親族がお墓の前に集まり、供養や宴会が行われます。そのため、多くの人が集まれる場所としてお墓を広くする必要がありました。
④台風などの激しい雨風にも耐えられるつくりにするため
梅雨時期や台風など、天気により激しい雨風にみまわれる沖縄。
海に囲まれているため、塩害の心配もあります。そのため頑丈な土台や屋根を作り、お墓が傷んだり倒れたりしないように考慮して建てられてきました。
こうして沖縄のお墓がなぜ大きいのかを知ると「お墓の大きさ」に沖縄の人々がご先祖様を大切にする想いの大きさが表れているように思います。
山や崖などの人目につかない所を掘り込み、その穴を石や漆喰を使ってふさいだだけの、簡単な作りのお墓です。風葬の習慣のため、遺体を置いておく場所として使われ、そこで白骨化するのを待ちました。
沖縄方言では「フィンチャー」と呼ばれ、納骨前に使う仮のお墓とも言われています。
堀り込み墓の周りに屋根や壁などを作り、豪華になっていったものが破風墓です。
「破風」とは住宅の三角屋根の側面につけられた三角形の板のことをさし、お墓の屋根の部分が破風の形になっているため「破風墓」と呼ばれます。
琉球王国時代は、王室以外の庶民がお墓を建設することは許されておらず、1871年の廃藩置県後に許されたのち、広く普及するようになりました。
代表的なものに、歴代の琉球国王が眠る「玉陵(タマウドゥン)」があり、世界遺産にもなっています。
破風墓に続いて、17世紀後半にできたお墓が亀甲墓です。
中国の福建省などにも同じようなお墓があり、17世紀に中国南部から伝わったとされています。
亀甲墓は屋根の部分が亀の甲羅に見えるのが特徴ですが、実は「女性の子宮」をイメージしてデザインされており、亡くなったあとに再び子宮に戻っていくという「胎内回帰」の考え方に基づいています。
奥行きがあるため、沖縄での地上戦の際には防空壕としても使われました。
県外から訪れた方の中には、見慣れない形やその存在感にお墓ということを忘れ、感心する方もおられます。曲線が見せる穏やかさや大きさには、本土で言われるようなお墓のネガティブなイメージよりも、温かさを感じるようです。
屋形墓は小さな家のような形をしたお墓です。破風墓をまねて作られました。
破風墓や亀甲墓と外観は異なりますが、中は同じように作られています。
あまり高さがないものが多く、全体的に小さなものが多いです。屋形墓の中には、屋根の上に本州のお墓のような墓石をのせたものもあります。
本土では、お墓に御影石を使用されることが多いですが、沖縄のお墓はコンクリートで建てられていることが多いです。
琉球王朝の頃は、主に石灰岩が使われていました。
この頃はお墓を利用していたのは身分の高い人だけでしたが、一般的にも建てられるようになり、安価で使い勝手の良いコンクリートが使われるようになりました。
海に囲まれた沖縄では、塩害や台風などの強い雨風による劣化の影響も出てくるため、近年では御影石で建てるお墓も増えてきました。
本州では気が向いたときに、いつでもお墓に行けますが、沖縄では年中行事以外はなるべく避けるように言われます。
その理由は
などが挙げられます。
【十六日(ジュウルクニチー)】
旧暦の1月16日に行われる、亡くなった人のためのお正月です。
宮古島地方や八重山地方の離島の地域で盛んな行事。また、亡くなって初めて迎える旧暦の1月16日を新16日(ミージュールクニチー)といいます。その日までに亡くなった人のことを新仏(ミーサー)と呼び、ミーサーのいる家では親族が集まって追善供養します。
この日を機に、極楽へ行くか地獄へ行くか決まると言われ、1族にとっては大切な供養の日なのです。
【晴明】
24節気の1つである晴明の時期の行われる代表的な沖縄の行事です。
家族や親戚が墓石の前で集まって先祖供養をし宴会や食事をしながら親睦を深めます。「お墓でピクニック」とも言われ、県外の方から見ると不思議な光景ですが、沖縄の人々にとっては一年で最も大事なイベントです。
【七夕】
旧暦の7月7日にお墓の掃除美御前にてご先祖様にお盆への案内をします。
ヒーナシタナバタ(大安や仏滅を気にしなくて良い日)と言われ仏壇の取り替えや、お墓の修理をします。
地域によっては、タナバタスーコー(七夕焼香)と言って、リューグ(竜宮の神様が祀られている場所)で、海で亡くなった人のお焼香をしたり、海岸でウトゥーシをして成仏を願います。
沖縄ではお墓とお仏壇はつながっているとされます。そのため、仏壇に手を合わせることでお墓参りの役目を果たしているとされます。
最近では霊園が増え、代々伝わるお墓から移動する方も増えています。
後継者問題や耐久性の問題など、沖縄のお墓が抱える課題も多くありますが、街なかで亀甲墓などの大きなお墓を見かけた際には、これまで築き上げてきた沖縄のお墓の歴史や、ご先祖様を大切にする心について触れてみてはいかがでしょうか。