沖縄の仏壇 照屋漆器店 ── 時は変われど、変わらぬ想い
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新しい年の始まりに訪れるお正月。
全国的には1月1日にお祝いし、おせち料理を食べたり初詣に行ったりと、一年の中でも特に重要な行事です。
沖縄でも新正月をお祝いする家庭は多く、12月に入る頃には様々なお店で鏡餅やお正月飾りが所狭しと並んでいます。移住者の多い地域では、旧正月の雰囲気を感じられるところも少ないのではないでしょうか。
沖縄県内の神社などでも、新暦の1月1日には多くの参拝客が訪れて賑わいます。
しかし、現在でも地域や家庭によっては旧正月の文化が根強く残り、盛大に祝うところもあります。
沖縄では以前、旧正月と新正月の両方を祝う習慣がありましたが、今では新正月が主流となっています 。その背景のひとつに、日本復帰前の「新生活運動」があります。 1956年に、当時の琉球政府が「生活を見直して、豊かな生活を作りましょう」と打ち出しました。そして「生活運動推進協議会」を設置し様々な運動したのです。
この協議会は「新正月一本化運動」に力を入れていましたが、後に
といったことにも力を入れていきました。
1960年には講習会を開き、学校の校長先生など教育機関の関係者、青年会や婦人会の会長さんなど、指導者の方に向けて新生活の指導を行いました。その結果、新正月を祝う家庭は1960年(昭和35)の8.56%から、翌年には47%まで増えたのです。
こうして、旧正月が根強かった生活スタイルも変化をみせ始めました。暮らしを変えるのはなかなか大変なことですが、良い面も多かったようです。
旧正月と新正月の両方を行っていた家庭では「2回あることで、金銭面の負担が軽減され時間のゆとりが増えた」という意見や「新正月が良いと思いながらもこれまでの生活習慣をなかなか変えられないところがあった」などの意見もあり、新生活運動が県民の暮らしを変えるきっかけになりました。
日ごろから行事の多い沖縄で、お正月を2度行うのは非常に負担も大きかっただろうと思います。特に料理を作る役割の多かった女性にとっては、一年で1番体力勝負の季節だったのではないでしょうか。
潮の満ち引きなど、自然の周期と深い関係のある糸満市や離島などの漁港では、今でも旧暦を盛大にお祝いし、漁船に色とりどりの大漁旗を掲げて、大漁や航海安全を祈願します。
年神様や氏神様など、神様に対して行う本土のお正月に対し、沖縄のお正月はご先祖様やヒヌカンに対して行われます。
旧正月は朝一番に井戸や川で若水を汲み、ヒヌカンや床の間、仏壇にお供えすることから始まります。
若水汲みは全国的に行われる風習の1つです。
沖縄でも若水を飲むと若返る、健康や幸せが訪れるという言い伝えがあります。
沖縄のお正月の挨拶は「いい正月でーびる。若くないみそうちー。」
(いい正月ですね。若くなられましたか)で始まる光景もよくみます。
また一つ年をとるイメージのあるお正月ですが、若返りや再生の意味を持つ、おめでたい日でもあります。
お水を汲みに行くのが難しい現在では、朝1番の水道水で良いとされています。
ヒヌカンや床の間のお供え物
仏壇へのお供え物
長方形のウカリーを2セット用意し、お膳の上に料理を置きます。その横に炭の昆布巻と橙を置きます。
①ヒヌカン②床の間③仏壇の順番で手を合わせ、今年も家族で無事にお正月を迎えることができたことへの感謝をし、新たな1年の健康を祈願します。
新正月を祝う家庭が増えたとはいえ、今でも旧正月のシーズンになるとスーパーなどでは、お正月の飾り物や料理が並びます。
以前の沖縄では、年末に豚を一頭おろして様々な料理を作り、年末年始にはたくさんの豚料理が並びました。
そのため旧正月は「豚正月」(ウワーショーガチ)とも言われます。
決まった料理は特になく、ソーキ汁やラフテー、クーブーイリチーや田芋(ターンム)などを食べました。
現在では簡素化も進み、オードブルなどを購入して手軽に済ます人が増えています。また、本土と同じように旧正月を迎える時に年越しそばを食べる家庭もあります。
県外ではオードブルといえばパーティーと言うイメージを持たれる方も多く、伝統行事などの祝い事で購入するイメージは少ないですが、沖縄では年中行事やお祝いのたびにオードブルが並べられ、これも沖縄の文化の1つと言えそうです。
実は、沖縄には「十六日(ジュウルクニチー)」と呼ばれる3回目のお正月があります。
新正月や旧正月の「生きている人」にとってのお正月に対し「あの世のお正月」と言われる、亡くなった人にとってのお正月です。
「後生(グソー)の正月」や、「後生の年頭(グソーヌニントゥー)」とも言われます。
この風習は、宮古島地方や八重山地方の離島地域で盛んです。
この地域の方々にとっては最も大きな行事で、この日のために多くの人が里帰りをするのです。
旧正月にはヒヌカンやお仏壇へ手を合わせますが、ジュウルクニチーにはお仏壇だけでなく、お墓参りをしてご先祖様に手を合わせます。
旧暦の1月14日または15日を「ソーグヮチグワァー(小正月)」と言い「生きている人の正月は終わり」とされる節目の日です。
正月の飾り等を片付け、ご先祖様に自分たちのお正月が終わったことを報告し、普段の生活に戻ります。
沖縄では亡くなって一年経たない故人のことを「新仏(ミーサー)」と呼びます。
ミーサーが亡くなってから初めて迎える十六日(新十六日)では、ミーサーはまだ三途の川を渡った場所にいるとされています。
この新十六日を機に、あの世での行き先が決まると言われてきました。
そのため遺族はこの日に追善供養をし、故人がより良い環境へと行けるように祈願します。
この追善供養の様子を「極楽浄土への橋渡し」と呼ぶこともあります。
ミーサーや遺族にとっては、大切な供養の日なのです。
この日には親族も集まって法要し祈願します。
地域によりますが、2年目まで行われることが多いです。
その期間はお祝いの意味合いがあるお墓参りの晴明祭(シーミー)は控えます。
新十六日のお供え物
亡くなった方にもお正月があるのは、ご先祖様を大切にする沖縄ならではの風習といえます。
本土の正月文化と沖縄の旧正月文化、どちらも行うのは大変ですができる範囲で守り伝えていきたいですね。