沖縄の仏壇 照屋漆器店 ── 時は変われど、変わらぬ想い
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沖縄の夏の風物詩であるエイサー。
沖縄県民はもちろんのこと、移住者や観光客の方でも、迫力のある太鼓の音や指笛が聞こえてくると思わず足を止め、魂が込められた演舞に心を奪われるのではないでしょうか。
現在はエンターテイメントとしても進化し、多くの人々を魅了しているエイサーですが、もともとはご先祖をお見送りするための伝統行事です。
エイサーは、沖縄県で旧暦の7月13日から始まるお盆の最終日、15日の「ウークイ(お見送り)」の日に、ご先祖様をお見送りするために行われます。
ご先祖様を大切にする沖縄県民にとっては欠かせない行事の一つです。
ウークイの夜には、各家庭でご馳走を供えてご先祖様をお見送りし、地域の青年会がエイサーを踊りながら集落内を練り歩き、賑やかにご先祖様をお見送りするのです。
「エイサー」という名前の語源について、はっきりした事は分かっていませんが、代表的な2つの説があります。
・琉球王朝の歌謡集『おもろさうし』に出てくる「ゑさおもろ」という言葉が元になっている
・浄土真宗を含む、浄土系宗派の「エイサー エイサー ヒヤルガエイサー」という囃し言葉から取ったもの
エイサーの起源については諸説あり、その始まりは200年前とも500年前ともいわれています。文献が少なく不明な点も多いのですが、中でも有力とされている説が、1600年ごろに沖縄を訪れた、福島県出身の浄土宗の僧「袋中上人(タイチュウショウニン)」が琉球へ伝えた念仏踊りが始まりという説です。
袋中上人(タイチュウショウニン)の地元福島には「じゃんがら踊り」という念仏踊りがあり、伝えらた念仏踊りが沖縄独自の文化と混ざり合いながら、エイサーへ発展したと言われています。
戦前までのエイサーは、芭蕉布の着物と、わらでできた帯や鉢巻に裸足という地味な衣装をまとい、演舞も素朴なものでした。
当時の念仏踊りに沖縄の民謡曲が取り入れられるようになり、沖縄県の北部一体で流行り始めました。その念仏踊りはのちに中部から南部へと伝わり、沖縄全体に広がっていったのです。
戦時中はエイサーを含めた娯楽が禁止されていた時期もありましたが、復興を機に復活しはじめました。
戦後、沖縄県はまだアメリカの統治下であったため、米軍が出入りすることも多く、基地が近いコザ市(現在の沖縄市)は商業都市として経済的にも潤っていました。
しかし、米国民政府による「オフ・リミッツ(米軍人・軍属・家族が 民間地域へ出入りすることを禁ずる規制)」が宣言されたことにより、大きなダメージを受けました。
そこで、戦後復興のシンボルでもあったエイサーで街を盛り上げようと、1956年に「コザ市・エイサーコンクール」が開かれたのです。
コンクールなので、競技として審査や優劣がつけられます。そこで、これまでの素朴な念仏踊りから「魅せるエイサー」として、大太鼓や締め太鼓を取り入れたり、きれいに見える隊列を工夫する、曲調を変えるなど現在の賑やかなエイサーへと発展していきました。
21回続いたエイサーコンクールでしたが、地域によって特徴の違うエイサーに優劣の差をつけることに不満の声も出始め、コンクールは廃止されたのち、第22回(1977年)からは「沖縄全島エイサーまつり」として開催されるようになりました。
現在では旧盆に限らずさまざまなイベントで披露されるエイサーは、一つのショーとして、小さな子どもから大人まで楽しむことができる、沖縄を代表するエンターテイメントに進化していますね。
エイサーは、青年の男女数十人で演じることが多いです。唄を担当する地謡(じゅうてい)や太鼓を中心に、手踊りや旗頭、チョンダラーという役割があります。
・大太鼓
エイサーの音頭を取り、全体の音をリードする役割。大太鼓を抱えながらも、重さを感じさせないパワフルに踊る姿はダイナミックで迫力があります。
・締太鼓
太鼓と同様、エイサーの音頭を取りながら演奏する太鼓です。片手で持ちながら一糸乱れぬ姿で舞い踊る姿は見ごたえがあります。
・地謡、地方(じゅうてい、じかた)
三線を弾きながら民謡を歌う役割です。唄のうまい男性が担当し、ずしりと深みのある歌声が響き渡る、エイサーには欠かせない存在です。
・チョンダラー
白塗りの奇抜なメイクをし、おどけた動きをしています。踊りながらも観客を盛り上げたり、隊列を整える役割があります。
・旗頭
エイサーの団体の先頭に立ち、旗を上下に揺らしながら舞う役割。高さが3〜4mもあるズッシリと重い旗を持ち掲げます。持っているだけでもなかなか大変そうですが、より高く上下に揚げる姿は圧巻です。
・手踊り
本来は男性の演舞が中心だった踊りですが、エイサーコンクールを機に、女性の手踊りが登場しました。ダイナミックな男性の動きとは対照的に、優雅に踊る姿はエイサーの演舞に華を添えます。
ウークイの日には、各地域の青年会の人たちがエイサーを踊りながら練り歩く「道ジュネー」を行います。
エイサーの演舞でご先祖様をお見送りし、各家庭の安全や無病息災を祈願します。
間近でエイサーを見られ、鳴り響く太鼓のリズムがダイレクトに体に伝わるのも道ジュネーならではの迫力です。
イベントで見られる賑やかなエイサーよりも、伝統的な演舞が多く見られる道ジュネー。本来のエイサーの姿が見られ、移住者の方もより深い沖縄を感じられます。
また、エイサーのイベントなどでは立ち位置が決まっていることが多い地謡ですが、道ジュネ―での演舞の際には後方で軽トラックの荷台に座り、三線を弾きながら歌う姿も見られます。これもまた、道ジュネーでしか見られない光栄です。
最後には、観ている人も思わず踊り出す「唐船ドーイ」。宴会などの祝いの席で演奏されることが多い沖縄の伝統曲ですが、この曲が始まるとカチャーシーをしながら踊り出てくるおじいさんやおばあさんもおり、楽しい雰囲気の中で、ご先祖様も喜んであの世に帰って行けそうですね。
沖縄県内では、毎年6月から9月ごろまでがエイサーのシーズンとなり、各地域で様々なエイサーのイベントが行われます。
・沖縄全島エイサーまつり
・エイサーナイト
・一万人のエイサー踊り隊 など
沖縄県内各地から、代表する様々な特徴を持ったエイサーの演舞を一度に見られる毎年人気のイベントです。
エイサーを楽しみながら、ご先祖様に思いを馳せるひと時を過ごすのも良さそうです。時代とともに変化していることが多い沖縄の年中行事ですが、進化しながらも伝統を残し、受け継がれていってもらいたいですね。
旧盆の時期には特に忙しくなる沖縄。仏具や行事についてお困りの事やご相談がございましたら、ぜひお気軽に照屋漆器のスタッフまでご相談ください。